スポーツ選手は筋肉バカなのか?

今回は、スポーツで成功されている方々と東大理Ⅲに合格されるような偏差値の高い方の共通点について考えてみたいとおもいます。

スポーツ選手はときにスポーツ馬鹿と揶揄され、東大生は頭の良い人の代名詞というステレオタイプが存在します。スポーツ選手が筋肉バカだというのはもちろん誹謗ですが、受験制度にスポーツ推薦が存在することを考えると、この揶揄は全くあたっていないわけではないようです。しかしながら、よく勉強する人にとってはどちらにせよ迷惑な偏見でしかありません。

今日はそういうお話ではなく、別の視点から両者を比べてみたいと思います。

結論から言いますと、両者に共通するのは、「挫折を経験したことがない人」ということではないでしょうか?

良い側面、「底抜けに明るい」
悪い側面、これこそ「筋肉バカ」
(笑)もしくは「偏差値バカ」

さて、あなたはどちら?

両者の共通点は、「これまですべて上手くいってきた人」というのが筆者の視点です。この点を少し掘り下げてみたいと思います。

いや、スポーツ選手も挫折はあるでしょ?

そう反論なさるかたはあるでしょう。まあ一般的にはその通りだと思います。

ここに一冊の本があります。松岡修造氏の「挫折を愛する」です。

彼自身が挫折を乗り越えて今があると主張なさる内容です。僕は一旦は挫折したが、諦めなかったんだ。だから簡単に諦めてはいけない。僕の今があるのはあきらめなかったからだ。

実に単純です。(笑)

ざっと目次に目を通すと全編そういう主張であふれています。成功哲学の王道、スポーツ選手が愛してやまないメンタリィティですね。

我慢して(笑)読んで見ました。
途中で嫌になりましたが、一応、彼を知るうえで大切なので読み進めました。この本を読んで勇気をもらったり、元気をもらったりする人はどれくらい存在するのか気になりましたが、少なくとも筆者は疲れました(笑)

かんじんの「挫折」ですが、そこに「挫折」を感じることはできませんでした。

彼がいう「挫折」とは「立ちはだかる壁の前になすすべなくうちひしがれる」。そういう状態を言っているのだと思います。強力なライバルの出現に落ち込んでいることを「挫折」と呼んでいるようです。相手が強烈に強すぎるから、あきらめてテニスをやめてしまいたい。

体操に即して言いますと、技の難度が難しすぎて自分にはとうてい無理だと考えあきらめてしまう心理状態のことをさしているようです。いかにも哲学的な表現を使って、スポーツ選手も悩んでいると言いたいのかもしれません(笑)

さて、これをはたして「挫折」とよぶのふだろうか?

多分、筆者のなかでは、間違いなくクソ本にあたると思います。

ごめんなさい、松岡修造さん(笑) 

あなたの筋肉性は、いとも簡単に「挫折を愛する」と言ってのける精神性によく現れているからです。

断言します。本当に挫折した人は、決して「挫折を愛する」とは言いません。スポーツ選手は、直線的思考をする傾向がありますね(笑)

ここで、断っておきますと、人が必ず挫折しなければならないかというと、決してそうではありませんので、そこは勘違いなさらないで下さい。

こういう本を読んで、挫折しているひとが復活することはできません。近寄る人はいないと思います。亡くなられた神田沙也加さんが絶対に手にしない本です

1、存在の揺らぎ

ここから、筆者の考える「挫折」です。

18歳から22歳にかけて、個人差もありますが、人には「存在の揺らぎ」のようなものが訪れます。みなさんにはありましたか?自覚されていない場合もあるでしょうが、、。

ないほうが幸せです(笑)
ところが、不幸にしてこやつにとらわれると、簡単にはいきませんよ。

人はこの時期(青年期特有)、その得体の知れない「存在の揺らぎ」を何かに置き換える行為にでます。

それが、スポーツや成功願望(医者を目指したり)につながります。恋愛あるいは結婚、政治活動、あるいは宗教になります。一時期、流行った「自分探し」、最近は成功ビジネスなど。オウム事件は、この若者に特有の「存在の揺らぎ」を背景にしていますね。

できれば近寄らないほうがよろしい。でも、もし、それに落ち込んでしまったら、唯一の救いは、徹底的に哲学(deep thinking)をすることです。それしかありません。

哲学? えっ、そんなの難しくて、無理。

わかります。いまさらそんな難しいことにチャレンジできません。もっとシンプルな方法を教えて下さい。

一つあります。恋愛です。これならできるでしょ。若者はてきれば、変な宗教や、自分探しではなく、積極的に恋愛をしたほうが良いと思います。

ただ、筆者には今の若者がそれほど恋愛しているとは思えないのです。もしかしたら、発情期のオスメスの猫でしかないのかもしれません。人間の恋愛は猫の発情期とは違います。次元が違うのです。ですから、それをきっかけに偉大な哲学者に遭遇することができるかもしれないからです。えっ、結局哲学ですか?はい、そうです。でも今度は真剣になるでしょう。でもご注意下さい。抜け出せなくなりますよ。

若者は相手を求めすぎます。そして失敗します。このとき、この世の終わりとでも言わんばかりに失望してしまいます。まるで世界の終わりのように感じてしまうわけです。これが「存在の揺らぎ」です。

どうせなら 存在が揺らぐほどの恋愛を経験すればよい
人を好きになって幾度か失敗すればよい。お互いわがままな存在ですから、ぶつかり合います。

結婚する前に、少々こういう体験をしたほうがはるかに良いのですが、近年は、簡単に結婚してしまう場合があるようです。失敗しないで上手く結婚したとして、たいした失敗経験がないと、たんなるオスメスのつながりになりかねません。そしてその結婚が、たんなるオスメスの同居となると、ことが済んだあとは、破綻が生まれるだけです。最近話題のどなたかのように。(笑)

その方が有名な人物であれば、マスコミに格好のスキャンダルを提供するようになります。離婚が増える大きな理由です。迷惑なのは、子供です

神田沙也加さんのように、恋愛の失敗で存在が揺らいでしまったら、哲学しかありません。彼女は、命を絶ってしまいましたが、、、そこから初めて真の思考力が生まれるはずだったのです。もし、このとき、適切なサポート(哲学)があれば、個人の尊厳を深く考えるヒントやきっかけになったのです、、、本当に残念です。ご冥福をお祈りいたします。

さて、スポーツ選手のメンタリティーに話を戻しましょう。

スポーツ選手の一部の方に底の浅さ(筋肉バカだと言われる理由の一つ)があらわれるのは、そもそも挫折しょうがないマインドの持ち主だからです。ですから、挫折から立ち上がる上で必要な、根本的な「生きるための哲学」の経験が不足しているのです。

だから、一方的な成功哲学しか語りようがないのです。悩める人がこういう人に生きづらさの相談などはできませんよね。本当に挫折しているひとが、松岡修造大先生に相談する人がいるでしょうか?

2 アスリートや、政治家および官僚に不足する共感力

本日皆さんにお伝えしたい内容を考えたきっかけは、昨年(2021年)の東京五輪の国を挙げての騒ぎからでした。

五輪選手は国民に支持されて大会を盛り上げていきたいはずなのに、なぜか批判の矛先すらむけられる険悪なムードができあがってしまう時期がありました。たぶん、この雰囲気に「とまどい」ながら、明確に反発した人もいるでしょう。アスリートは「命がけで」やっているんだ。筆者の良く知るコーチが、あるところで、僕にそう伝えたことがあります。

言わんとすることは、わかります

政府が五輪を強行する理由を明らかにせず、大会の開催意義すら見失い、アスリートを政治利用する構図が見え始めたころ、世論は完全に五輪反対に傾いていきました。

こうした騒ぎのなかで、五輪に反対する多くの国民に、肝心のアスリートから誰一人感情移入できた人がいなかったことです。もとより賛成する国民もいるにはいましたが、世論は圧倒的に反対に傾いていました。

反対する人に感情移入すれば、五輪選手としての自分のアイデンティティーの否定につながりますから、その敷居を越える人はでませんでした。

筆者が記憶する限り、陸上女子1万メートル代表の新谷仁美さんただ一人だけでした。

そして、今回のテーマの結論になります。

考える力や共感力は、偏差値の高さや運動能力だけでは計れない

3 終わりに

僕の個人的な印象では、
山口香さん、有森裕子さんは、少し違うように見えます。
為末大さんは「走る哲学者」と言われるくらいですが、まだよくわかりません。

JOCの山下泰裕先生や、TOCOGの橋本聖子先生は、僕のなかでは、終わっています。言わばお寺の住職(政治家)にこき使われる小僧さんのイメージです。橋本先生は政治家ですが、、柔道関係、スケート関係のみなさん、ごめんなさいね。気を悪くなさらないで下さい。個人的な感想ですから。

彼、彼女に一休さんほどの知性と反骨があれば、と思うのですが、、。

以下、山下先生に代表していただきます。

彼はオリンピックボイコット問題で泣き崩れ、悲劇のヒーローを演じましたが、筆者の見るところ、「挫折」はしていません。それが証拠に4年後、今度は金メダルをとってまた泣きました。マスコミが大好きな感動ドラマです。それを見て感動した人は沢山いるでしょう。
それは、個人の体験ですから、自由の範囲です。

ですが、彼に「存在の揺らぎ」のような明確な挫折は感じることはできません。あくまで優等生の範囲です。松岡修造氏と同じテイストを感じます。

ですから、今や立派なJOC会長です。看板に傷などない圧倒的な優等生です。まるで偏差値の高さを看板にする優等生と同じですね。

これが、本日どうしても言いたいことの一つです。

まあ、世の中にそういう人がいても良いのですが、、、。

あまりにも、沢山いらっしゃるようですので疲れるのです。

思考力を地頭だと考え、頭の回転の良い人を想像される人は多いようですが、違います。早口でまくしたてる人は、決して考えてはおりません。よく見ておいてください。

その良い例が、Youtuberで人気があったDAIGOという方ですかね。

長くなりました。
一度は立ち止まって、「存在の揺らぎ」について考えて見てください。

2022/01/25