神田沙也加さんを悼む

努力主義の陰で人は苦しんでいる

2022年がスタートしました。皆様、あけましておめでとうございます。

年末年始は駅伝が恒例の国民行事となった感がありますが、なにやら壮大な国民イベントになっていて走ることが億劫な僕にとっては、いったいあれの何が面白いのか?よくわからないまま漠然とながめております。区間ごとの激走をみて沿道の方々の声援は熱をおび、報道アナウンサーの過度な実況にやや批判的なコメントをする僕に、義母は笑って反応を返してくれます。80歳を超える義母は駅伝ファン。

若者の激走が先の短い老人に生きる元気を与えてくれるならそれは素晴らしいことだと、大いに納得もし、区間を走り切りゴールに倒れこむようにしてフィニッシュするのはだれしも感情を揺さぶられるものだと、そこは同じように同意はしています。もし僕の教え子のひとりがこの駅伝を走るのなら、間違いなく他の方と同じように必死に応援はするだろうと思います。

考えたいのは、その先です。

怠けている子供より勤勉な子供を称賛するのは当たり前じゃないか!そんな声が返ってくるような気がします。でも、僕は遊んでいる子供が好きなんです。

昨年のオリンピック東京大会で一躍注目をあびたスケードボードをみなさんは覚えておられますか?年少の女の子が金メダルを獲得しましたね。古い伝統的な努力主義の結実がオリンピックだとしたら、そのなかであの競技は何か異次元の花を咲かせたと思いませんか?

昨年秋の日差しの良い日、散歩がてらにとある大型公園に行きました。目的はスケードボードの練習風景を見に行くためです。その公園では、なんと公費でしっかりした練習設備が作られているのです。そこで展開されている練習風景は、僕が一番よく知る体操競技の練習風景とは異質のものでした。まず第一の違いは、指導者と思しき人が誰もいないこと。それぞれのレベルに合わせて、それぞれの滑りにトライしています。これが実に見ていて楽しい。

スケードボードで往復して何が面白いのか? 

しかしわかります。円錐形の深々とした溝を滑り降りて帰ってくるこの単純な動きに、脳内は喜びでみたされているはずだ。

何も目的としない。ただ滑るだけ。ここに価値がある努力はそのことが面白いから自然について回るものであって、他人が強制したり、称賛するものではない。「楽しんでやっていたらいつのまにかそうなりました」が一番である。よそから見ると、「たいへんですね」も、本人からすれば楽しんでいるだけである。これを努力主義とはいわない。彼らは努力しているようには見えない。ただ楽しんでいいるだけです。

さて、本日の本題です。

2021年12月の事件

  1. 神田沙也加さんの転落死 (後に遺書が見つかったことで、自殺と思われる)
  2. 大阪のビル火災の事件 (容疑者は亡くなったようです。この事件の真相がわからないまま、人々の記憶から時間とともに消え去っていきます)

まずは、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

大阪のビル火災事件はあまりにも痛ましく、言葉が見つからないのですが、神田沙也加さんの転落死も各方面に大きな衝撃を与えております。2つの事件には、共通のキーワードがあり、以前から気になっていることがあります。それは両者ともに心療内科に通院されていたということです。

一人は有名芸能人の転落死、他の方は他人を巻き込んだ大量殺人事件。二人を同じ地平で論じるな、というお叱りは無視して、この問題、心療内科の増加、および精神医の問題について少し考えてみます。

沙也加さんは、報道によると医師により処方された薬に対して、この日決められた量を越える服用があったと報じられております。これがどういう結果をもたらすか、想像してみる必要があるのではないでしょうか?

芸能界のトップを走る方のメンタルの危機を勝手に想像するしかありませんが、相当なプレッシャーとの戦いであったと想像できます。また、交際相手の方との人間関係のもつれも示唆されております。

一方、ビル火災の犯人も、離婚や、親族との人間関係など、相当な精神的な問題を抱えていたということです。そのこともあって、現代ではこうした精神科クリニックが都市の至るところに開設されている現状が生まれています。心にストレスを抱えている人の受け皿が心療内科。ビジネスパースンのメンタルヘルスの受け皿は、大手企業なら企業内産業医、もしくはメンタルトレーナーでしょうか?しかしそれもない中小企業や自営業の方なら、最終受け皿はやはり心療内科。そして、その先が精神病院。恐ろしい現実だ。

そもそも、心療内科で症状が良くなり元気に復帰していく方はどれくらいおられるのだろうか?素晴らしい成果を納めておられるなら、それはそれで素晴らしいことだと思うのですが、、、。

心療内科

こういう聞こえの良い言葉が生まれるときは注意が必要ではないでしょうか?そもそも薬で鬱病は治るものなのですか?その薬でよくなった人の例を知りたいのですが、ありますか?

患者がその薬を求める?

この薬の名前は忘れたのですが、服用するとなかなか辞められないそうです。依存性があるといわれながら、そのことを伝えないで処方する程度の低い精神科医もいるようです。どの薬もそうですが、副作用は当然だが適切な指示に従えば安全だと必ず言われます。果たしてどうなのか?

医師免許所持者の言うこと、だれも絶大な信用をいたします。大阪のビル火災で犠牲になられたお医者様の評判は良いようで、面倒見の良さが報道されています。それは間違いないのでしょうが、それを強調するのはマスメディアの印象操作で常套手段。犯罪者の理不尽を浮きだたせ一般大衆の関心を引くことができる。精神に問題を抱えている人は凶悪犯罪を起こしかねない、こうした誤った固定観念を植え付けてしまいかねない。もちろん、この犯罪者を擁護する気持ちは一ミリもありませんが、、、メディアの報道は、事件の裏にある大切なことに踏み込んでいない。

起きた事件から我々が学ばなくてはならないのは、二度とこういう悲しい事件が起きないために、必要なことに気づくことだけです。

どんな薬を処方されていたのですか?

精神医を管轄するのは、どこですか?

厚生労働省は、治療カルテを調べられましたか?

この2つの事件の背後にあるのは、向精神薬の過度の服用ではないでしょうか?

事件の原因を、患者の精神疾患にすべて被せて終われば、事件解決は早いかもしれませんが、次の事件を防ぐことはできないと思うのですが、どうでしょう?

うわべだけみて、何が起こっているのか知らなければ、適切な対処のやりようがありません。

参考までに