管理人

松田と申します。

大学を卒業後、枚方、寝屋川で体操クラブのコーチとしてキャリアをスタートさせました。5年後、民間保育園様とのご縁から、羽曳野市で選手育成の仕事をはじめました。1985年9月のことです。48名の生徒さんからスタートし、翌年4月には198名までおいでいただけるようになりました。その後、10年を経て地域に定着し、時代の大転換点にあたる1995年には生徒数は498名にまで膨らみました。ちょっとしたビジネスオーナーです。銀行から投資案件を勧められたり、あれしませんか?これしませんか?というお金儲けの有象無象が寄ってきます。阪神淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件等があった年です。Windows95もスタートしたときでもありますね。

10年間、選手育成をしてきただけなんですが、勝手にビジネスが大きくなり、会計士さんも雇わなくていけないし、思えば一番思い違いをしていた年かもしれませんね。日本中がみんながもっと儲けるにはどうするのか?に酔っていたときですから、悪評高いネットワークビジネスも忍び込んできましたが、うまくやり過ごしました。

1995年、まさかこの年がピークになるとは思いもしませんでした。

ご存じのようにその後日本は少子化へまっしぐら。急激な変化ではないのですが徐々に産業構造の変化があったことが、今だからよくわかります。同じ地域でがんばり過ぎたのだと思いますが、2014年には生徒数が200名を切り始めました。そして、2020年の今年はとうとう150名程に衰退してしまいました。1985年に戻ってしまったわけです。

そしてあろうことか、新型コロナウイルスのパンデミックが世界を襲いました。世界はもちろんのこと、街は、右も左もマスクだらけ。そして緊急事態宣言。これはもう決定的です。

それでも、あと5年は維持できただろうと思うのですが、少し疲れました。

今の場所で同じことをするのはやめよう。このさい、在り方を含めて考えなおしてみよう。そして、1980年代に器械運動を教え始めた原点にもどって、こどもとのかかわりも含めて、運動(スポーツ)そのものを見つめ直してみよう。

このパンデミックが収まるまで、これまでの活動休止し、「体操クラブ」ではなく、もっと運動や学びを必要とする子供たちのために、なにかできることはないか、にフォーカスしてみよう。そんなおもいで、「こども運動クラブ」を始めることにしました。

このブログでは、管理者のスポーツ感や人生哲学(ちょっとたいそうですが)について披露していこうと思います。よろしくお願いいたします。

2020年は大転換の年。それもこれまでとは質の違う大転換の年です。

僕のささやかな夢「こども運動クラブ」の基本方針たとえば、地域の子供たちに、楽しく生きていく方法を伝えること。他人を出し抜かない生き方をすること。支えあって生きていく地域社会がどんなものか、真剣に考える社会、友達が本当の友達である社会を生み出すこと。そこにささやかなスポーツ(たとえば、僕の専門、器械運動)は絡んでいく。でも、それは生活のためであって、オリンピックではないm(_ _)m

MTOP CLUB gymnasticsさんの投稿 2020年7月3日金曜日