あきらめない子供を育てる達人のいる体操クラブ

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人間は、生まれたときから、立ち上がれるわけではない!

あたりまえ、じゃん (*_*)

あんた、いったい、何が言いたいの?

そう思われた方、

僕が何が言いたいのか

これからお話することが、あとあと、大切になってきますので、

ぜひ、覚えておいてくださいね。(*^^*)

こんにちわ\(^o^)/

クラブオーナーの松田です。

本サイトをご訪問いただき、ありがとうございます。

画像の説明

こんなご時世、このように顔出しする以上、

また、いつまで、体操のコーチを続けるかわからないので、

僕のことを少し理解していただくために、

少し恥ずかしい過去もお話したいなあぁ、なんて考えています。

ぼくがあなたの何を解決できる人間なのか?

お知りになりたい方は、

ぜひ、これからも、このサイトを訪れていただき、

じっくり、研究していって下さいね。

プロフィール

「挑み続ける子供を育てる達人」の松田です。 Let me intoduce myself.

今から40年前、

関西のとある大学を卒業後、

小学校の教員をめざしていました。

そのころ、ある体操クラブのオーナー先生が

アルバイトコーチを募集しておりました。

体操クラブ自体が、当時はまだ珍しい時代です。

教員志望なのに、わずかな体操競技経験だけで、

失礼ながら、掛け持ちする感覚で応募させて頂きました。

よく無名の自分を雇っていただいたなぁ、と今も思います。

今から思うと恥ずかしくもあるのですが、

あきらかに人生の転機がおとずれた一瞬!

実は、高校時代の体操部の恩師と、

そのオーナー先生が大学時代の同期の関係でいらして、

僕の出身校を聞くやいなや、おまえKの教え子か?

なら、すぐ来てくれ!

即決で採用がきまりました。

いかにも体育会系ののりですね(*^^*)

このオーナー先生は、

大阪では今も強豪校として知られるある女子高校の体操部の監督さんでした。

先生がジュニア育成に着手されたときに、

もともと体操競技経験があるだけの、

ただの小学校教員志望の一青年を使っていただいたことに驚きをかくせませんでした。

幼児体育、小学生体育、そして体操競技選手育成の仕事を経験させていただき、

現在のキャリアのスタートとすることができました。

本当に感謝しております。

その後、

訳あって教師の道はすててしまった。

このあたりのお話は別にします。

なぜなら、一方の可能性を捨てて、もう一つの道を選択する人生の再重要決断が、人に何をもたらすか?こんなお話も、もしかしてだれかの役にたちそうですからね(笑)

実際、教員採用試験の一次試験までは合格しました。

あと少し踏ん張れば教師の道はすぐそこ。

なのに、体操のコーチの道を選んだのです。

二十代の、職業経験は、

自分発見の重要なきっかけを与えてくれました。

「挑み続ける子供」の育成が、僕の使命であることが

おぼろげながらわかってきた大切な二年間だったのです。

このときの、心の変化と決断は大切です。

ここはまた別のところでお話しますね。

現在

すでに、引退していてもおかしくない年齢ですが、

最近

先生、いったい何歳ですか?

の質問を真面目に聞かれ、焦ってます(^_^)v

現在も現役の「たいそうのせんせい」として、

お隣の坂門ケ原保育園を筆頭に、

あおぞら保育園、

郡戸保育園、

誉田保育園の体育講師のお仕事を頂戴し、

保育士さんに幼児期の運動の大切さを伝えさせていただいております。

では、

なぜ、一教員志望だった僕が、体操のコーチになったのか?

自分発見の旅

ここから、ぼくの物語を聞いて下さい。

すでに言いましたが、

20代の頃、小学校の教員を目指していました。

一ヶ月強の母校での教育実習を終えるとき、

子どもたちは僕を評して、「将来、校長先生になる人」といってくれました。

ところが、気がつけばいつのまにか、体操のコーチになっておりました(笑)

そして、体操クラブの一オーナーになっておりました。

それには、子どもたち特有の「直感」のようなものが働いていたのでしょうね(笑)

そんなぼくですが、

小学生のころは生物学者になるのが夢だった(笑)

なぜかはわかりません。

「鷹と少年」とか、動物と人間の関わりに憧れがあったのですね。

といいながら、犬やニワトリに追っかけられていましたが(笑)

また、えらそうに学者といいながら、

実は、小学生の頃の通知表には、

エントツとアヒルさんが並んでいた(笑)

この意味わかりますか?

僕と同世代ならわかるはずですよね(笑)

勉強ができない。

かつ運動オンチ

究極の冴えない子供でした。

今は?????

あるときは、体操競技のコーチ

あるときは、体育の先生を指導する体育の先生

そして、たまに英語も教える変わったおじいちゃんです(笑)

そして、今は、武道家を目指してる(笑)

実は、声を潜めて言いますが、英語の教員免許所持しています。

こっそりと、タンスの肥やしにしています。

言っときますが、英語の教員免許があっても、英語がペラペラ喋れるということではありませんよ。

これこそ、日本の英語教育の不思議さですね(笑)

ですが、僕を知っている人は、

僕が、たまに英語ネイティブと会話しているシーンを見たことがある人もいるかも知れません。

ペラペラでではありませんが、なろうとはしています(笑)海外生活の経験はないですよ。

小学生時代、通帳にエントツとアヒルさんしかなかった少年が、、、、、小学校教員免許を所持している。(笑)

勉強が全くできなかったわけですが、もしかして大脳に機能上の問題でもあったのか?

実は、頭がハゲている以外、なにも問題無いようです(笑)

いや、子供のころからではないですよ

そろそろふざけすぎて、怒られそうなので

ここから少し真面目にいきますね。

でも、本当の話ですよ。

どういうことかと言いますと、宿題をまったくやらなかったのです。それも、強の文字がつくほど、強者(もさ)でした。

学校から帰ると、ランドセル放り出して、暗くなるまで、野山を駆けてました。

鷹と少年状態です!

のどかな時代ですね。

そりゃ、山へ行けば面白いことがいっぱいあるし、神社へいけば木には登れるし。

目を悪くするゲーム機やスマートホンもないから視力は脅威の両目2.0です。

いや、それ以上だったかもでしょう☆彡

疲れるまで遊んで、家に帰ってきては、「ひょっこりひょうたん島」を見る。

いつ宿題するねん?

それで、次は、小銭をもらって銭湯へいく。

僕の家には、当時、風呂がありませんでした。

兄弟や近所の悪ガキと一緒に風呂へいく。

帰ってきたら夕食を済ませて、やっと宿題。

と言いたいですが、、、、、

そのまま布団のなか(笑)

気がつけば朝!!

両親は、このことに対して何も小言をいいませんでした。

おそらく日々の生活にいそがしかったのでしょうね。

いやぁ、そりゃ楽しかったですよ。

そのかわり、

ぼくの頭にたんこぶが絶えたことはない(笑)

担任の先生が、僕の親に代わって、愛のムチ(げんこつ)をくれてましたから。

親もきっと感謝していたでしょう。

ときには、三角定規の直角の角(T_T)のときもありましたから。

今の御時世なら、即刻、体罰問題に発展してしまいますね。

先生は、校長職を努めたあと、教育委員会へ。

もしかして教育長になられていたと記憶していますが、、、、。 

先生、ごめんなさい!

先生の愛のムチが理解できない困ったこどもは、少年時代なにをしていたか?

その後、困ったのは僕自身だったのですからね。

教育実習のために母校に訪れた僕をみて、

目を丸くされていたのを見逃せませんでしたよ。

すべては、現在とは、全くちがう!

先日、本屋で「三丁目の写真館」という写真集をみつけたのですが、

まさに、あの世界です。

貧しいけれど子供がみんな輝いている。

ですから、運動オンチだというのは、少し言いすぎかもしれませんね。

しかしかけっこはあまり得意ではなくて、のんびりしてました(笑)

お母さんに、きいたのですが、お母さんに似たそうです。

ぼくのお母さんも、子供のころ、ずいぶん、のんびりしていたそうです(笑)

「かけっこ」に関しては、良い思いをしたことがありません。

運動オンチというのはたぶんそこなんですよね。

これは、僕の思い込み、によることが今となってわかります。

本当に、運動オンチだったのか?

日本が戦争に負けて9年後の戦後復興の只中に

大阪府八尾市の田園地方でうまれた僕の眼の前にあったものは、

どこまでも広がる田んぼ。

春になると、一面のキャベツ畑や菜の花畑。

無数のモンシロチョウの乱舞と無数の生き物の世界。

もちろん、戦争のことは知らないが、不発弾の処理でその痕跡をみたり、

母親から幾度となく、空襲のことを聞かされて育った。


続きます。

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